6月30日に、神社入り口などに巨大な茅の輪をかけて参拝者をくぐらせることで祓をし、無病息災悪事忌避をねがう行事です。
今回はこの茅の輪くぐりを見てみましょう。
鳥蔵柳浅地域では、鳥越神社〔東京都台東区鳥越2-4-1〕、銀杏岡八幡神社〔東京都台東区浅草橋1-29-11〕、須賀神社〔東京都台東区浅草橋2-29-16〕、榊神社〔東京都台東区蔵前1-4-3〕で行われています。
茅の輪とは、罪穢や疫気などの良くないものを祓い清めるための祓え具の一つです。
茅や藁などを束ねて輪にしたもので、菅貫(すがぬき)と呼ぶ地域もあります。
かつては宮中でも使われていましたが、現在では6月晦日の大祓に用いることが広く行われています。
これは蘇民将来の故事にちなんで茅輪を悪疫除去のしるしとするという伝承が広く伝えられていたことに基づいています。
蘇民将来とは現在、疫病除けの守護神として崇拝されていますが、その由来をみましょう。
『釈日本紀』に引用されている『備後国風土記』逸文に、疫隅国社(えのくにつやしろ)の縁起として次のような話が記載されています。
昔、北海にいた武塔の神が南海の女神に求婚しようと出かけたところ、途中で日が暮れてしまいました。
そこで、蘇民兄弟に宿を乞うたところ、富貴な弟(巨旦、巨旦大王)はこれを拒み、貧しい兄の蘇民将来の家に泊まり何かと世話を焼いてもらいます。
その後、武塔の神は巨旦一族を滅ぼし、蘇民将来にはこういったと言います。
「私は早須佐雄の神です。のちの世に疫気(疫病が流行りそうな気配)があったらば、あなたの子孫は、蘇民将来の子孫ですと言い、その証として茅の輪を腰に着けなさい、そしたら疫気から逃れさせてあげます。」
この伝承が広まって、茅の輪には疫気を祓う力があると見られるようになりました。
暑い夏には疫病が蔓延する恐れが高まります、そこで夏の初めの大祓で茅の輪をくぐり、これを防ぐようになったのです。
先の『釈日本紀』には、蘇民将来の逸話が祇園社の本縁(始まるきっかけ)であると記されています。
蘇民将来の伝承は、その後広がりを見せていきます。
小正月に「蘇民将来子孫守」と記した木製の短い六角形をした棒を厄除けのお守りとして授ける地域もあります。
また、「蘇民将来子孫之宿」と書いた守礼札を戸口に張って疫病除けにする例が見られます。
一部では、田畑の中に守り札を立てて害虫除けにしたりと様々な使われ方をするところまであります。
話しを茅の輪に戻しましょう。
茅の輪をくぐるには作法があります。
「横8字のごとく回りて茅輪を三回潜り抜ける」のが基本です。
初めに一礼して、祓い清め給え、と一度唱えて右に一周、もう一度唱えて左に一周、最後にもう一度唱えて右に一周して終わるというのが一般的かと思います。
周回数や唱える言葉とそのタイミングなど、地域によって若干違いが見られるようです。
かくいう私も、毎年チャレンジするのですが一度でうまくいったためしがありません。
しかし、失敗も一緒に参拝した人と大笑いしたりと、ちょっとした思い出になっています。
私たちの町でも回り方に個性のあるところがあって、周回が倍の6回になる場合や、くぐる間中祈りの言葉をずっと唱える場合もありました。
茅の輪くぐりの作法はそれぞれの神社で案内板などで教えてくれますので、その場所に合った方法で行いましょう。
それでは、最後に文献で茅の輪くぐりの由来を見てみましょう。
『和訓栞』の「すがぬき」の項には、「菅貫と書けり、茅ノ輪をいふ、輪二丈六尺囲八寸、藁をもて造り茅を心とし紙をもて纏たる者也、内侍所の調進は茅のみを用といへり」。
みなさんも夏の無病息災を願って、地元の神社で茅の輪くぐりをしてみませんか?
この記事を執筆するにあたって以下の文献を参考にしました。
『国史大辞典』国史大辞典編集委員会 吉川弘文館1979~97、『日本史大辞典』下中弘編 平凡社1992、『東京風俗志』平出鏗二郎1899~1902、『日本民俗学大辞典』福田アジオ編 吉川弘文館2006、『精選 日本民俗辞典』福田アジオ、新谷尚紀ほか編 吉川弘文館1999・2000、『江戸東京学事典』小木新造ほか編 三省堂1987、『江戸学事典』西山松之助ほか編 弘文館1984
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